8/1の主張
            文は田島薫



(客観性について)

私は酒の席でもけっこう理屈っぽいやつだなどと非難されることも

多いので、議論好きなのかも知れない。

あまりそれを好まない人が多いので、逆にひとりで調子にのって

しまっていい気になっているところもあるんだろう。


でも、そういう話をやりあっていると、だれでも、へーと思うような

「おもしろい」意見にでくわすことがよくあるんだけど、

当人にとっては、あたりまえの話で、他人も当然自分と同じように

考えているはず、か、または、そう考えない人間は間違った認識を

もっているのだと思い込んでいるといった印象をよく受ける。


自分の言ってることは、客観的な認識で、絶対に間違っていないのだ

と言い張って、反論に全く耳をかさない。


私だってそうだが、自分の認識というのは、いつも客観的正当性が

あると誰もが信じているのだなとしみじみと感じる瞬間だ。


どんなに自分の常識と違った意見だと思っても耳はたっぷり貸す

べきだし、自分が常識だと考えていることも、その理由をちゃんと

説明して理解を求めるのが正しい「客観的」認識の仕方だと

思うのだが。


反論されるのって不愉快なものだから、議論も修業がいるわけだ。



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