11/25の日記 文は田島薫
先週末は同じ地元に住むいとこの奥さんの母親の葬式に出た。前日に茨城の両親から電話があり、遠い自分達の代わりに、
代表で出てくれと頼まれたのだ。
私は業者に仕切られた商業主義の結婚式とか葬式とかが嫌いでほんとに気持ちが動いたもの以外出ないのだ。
(結婚式で気持ちが動いたことは一度もない。貧乏のせいもあるが、)
昔友人が死んだ時は行って泣いたが、別の友人の父親が亡くなった時や、
つきあいの少ない友人の夫が亡くなった時も、最近亡くなった同窓生の
葬儀にも行かなかった。
その父親とは面識がなかったし、その夫とは1、2度会ったが
気持ちの交流がなかったし、その同窓生とは話をした記憶がなく、
いずれもこころが全然動かなかったからだ。
今回もいとこの義母とは面識がないので、気持ちはなかったが、身内の悲しみをなぐさめられるかも知れない、というのは、
確かに自己中の考え方だけでは、忘れがちなことだったし、
喜んでもらえるならと、親の意見に従って行った。
小さな会場で親戚だけで行われていた式は、まだ少し派手だと思ったが、それでも、こころ安らぐ気がした。
肉親の死を悼む涙も美しいものに見えた。
気の合う友人のようないとこたちと十何年ぶりぐらいに会えたのもうれしかった。(だったらもっと普段会えばいいもんだが)
ほんとうはけっこう私は葬式好きなのかも。