11/25の主張 文は田島薫
(虚礼について)結婚式とか、葬式とかの業界は、一般的に最近は売り上げが下がっている
ようだが、業者の方には不満だとしても、妥当で喜ばしい傾向だと思う。
いつのころから、豪華な飾り付けや、派手な接待が一般化したのだろう。もともとそういった儀式は、地域の人々や親戚が、
若い夫婦の門出には、祝い、はげまし、生活始めの助けにと、ご祝儀を包み、
大黒柱を失った家族には、なぐさめや、これからの生活の応援の気持ちと
ともに、生活費の助けとして、香典を包んだはずなのだ。
ところが、現代では、多くの人々が業者の商業ペースにどんどん無反省に乗せられ、祝ってもらったり、悼んでもらう側が多大な出費をしているのだ。
それだけではない。呼ばれた側だって、世間の相場とか言われて、
結局は業者のふところに入ると同じことになる痛い出費を、無念な気持ちを
こころに秘めながら、包むのだ。
みんなが身の丈で、こころからの気持ちを解放できるためには、そういう儀式はできるだけ地味にやるのが正解です。
もちろんそういうものに金を出すのが大好きな人もいる。そういう人は、自分とこの豪華な式の祝儀や香典をことわったり、
人の式の時には全員におごろう。