6/17ののらねこ 文は田島薫
きょうは朝来ると、いつもの空のエサ皿の横に、鈴のついた首輪が曲げた針金に引っ掛けてあるのにはじめて気が付いた。
ははー、またユーシロセンセイのしわざだろうと思って、出勤して来た彼に聞いてみると、週末に来たバットマンの首輪が
苦しそうだったから取ってやったのだとうれしそうに言った。
彼は前にも、ねこの首輪はかわいそうだと主張して、出逢った飼い猫の首輪を勝手にいくつか外したことがあるのだ。
彼の気持ちもわかるが、いくら、のらねこは自由に見えて幸せそうだと思っても、ほんとは人間のほうの思い入れで、ねこにどっちか選べと
言えば、きびしいのらねこの生活より、飼われるほうを取るだろう。
…自分だって、ホームレスのほうを取らないんだし。
ってなことをいくら言っても、センセイは自分の行為に満足顔だ。センセイは人の意見は聞かない。
結局以前も首輪を取られたねこたちは、また新しい首輪をつけて来たのが結末だった。
余計な出費を強いられる飼い主にとっても迷惑な話だろう。
これじゃ首輪ドロボーと言われたとしても仕方ない。
でもセンセイは人の意見は聞かないし、満足顔だ。