1/28の主張 文は田島薫
(信用について)
人付き合いをしていて、空しさを感じる瞬間は、
こちらが言ったことに、相手が共感しないだとか、
反論するだとかという場合よりも、
自分が知ったある単純な事実を言った時に、相手が
それを信用しなかった時だ。
日常的にささいな物事を自分の都合のよいように思い違いをしたり、意図的にうそをつく場合は
けっこうあることなので、その場合に、
うそつけー、とか、ほんとー?、こないだみたいに
こういう思い違いじゃないの?というやり取りなら
いいのだけども。それに、こういうレベルの話は
たいてい自然に事実が知れるもんだし。
ところが、そういったものと別にするべき、真面目な話で、こちらが「間違いない」と断言している
にもかかわらず、さしたる根拠もなく「そんなはずはない」
と一言で、否定された時、
この人間とは一緒にいられないな、と感じる。
あ、この人は、私の話を信じない人間なのだ、と思ったら、無意識のうちに、表面的な対応をするかも
知れない。
逆に、信じてくれたのに、自分が事実と思っていたことが、やっぱり思い違いだった
と分かった場合、相手が信用してくれていたことを
思い出し、間違いを訂正して、わびる気になるだろうし、
認識と発言により慎重になるはずだ。
関係の悪循環と進歩的循環、あなたはどっち派?