4/22の主張 文は田島薫
(生の本質について)筋ジストロフィーなど体が動かなくなる病気があるが、
全身がそういう状態になり、寝ているだけの人もいるらしい。
よく人はそういう人を見て簡単に植物人間だなどと言って
死んだ人間と同じように考えているように見えることがある。
あんな体になったら生きててもしょうがないなどと言う者もいる。
自分がもしそういう状態に突然なって、なにも体で表現できず、ところが頭脳や、意識がはっきりしていた場合を考えると
恐ろしい。それは、そういう状態で生きていることが、
というよりも、「本質的」に生きていることが信じてもらえない
かも知れないということがだ。
わずかに動く指1本でパソコンのキーをたたく人や、わずかに動く眼球の動きを介添え者の助けを借り50音と対応させて
コミュニケーションを成立させた人がいるが、それは周囲の
人の認識力と模索の努力のおかげだろう。
これは素人考えだと言う医者もいるかも知れないが、医者が臨終を告げた後、身内が「遺体」に話しかけ、
話しが分かったら、うなずいてくれとかなんとか言ったら、
その通りにした、という実話を聞いたこともある。
もし、身内が「植物状態」になった人は是非、患者さんの
あらゆるコミュニケーションの方法を模索してみよう。