4/30の主張             文は田島薫



(有効な認識について)

東大脳生態学者(?)の養老さんが人間はものの認識が増えるほど

非行動的になると話していた。

ものごとの判断にはかならず反対のものがあるからだと。


確かに一般の知識人や、そういった志向の人の傾向として

(私も若干あるか?)、それはよく感じる。


情報は自己正当化の道具にもなるのだ、色々知ってる私はえらい

なんて思ってる人は足元を確認しよう。


結局、いくら認識の量が膨大だろうが、すでに始まってしまっている

ものごとに、自分の判断がつかず、まあいろいろな立場があるから

一概に言えないなどと言う人は、(後述の老人よりはマシだが)

無意味な存在と言わざるおえない。


イスラエルとパレスチナの問題がそうだ。いろいろあるなどと

言っている間に、少し頭のボケた老人の裁断で、罪のない民衆の

自由が奪われているのだ。

アメリカは同じように来年ぐらいにイラクを攻撃しようとし、

日本はそれに協力せざるおえなくなる有事法制を決めようとしている。


君はこういうこと知ってるかいなどと、えばってないで、

「その時必要な情報だけ」示したり、それぞれのレベルで本質的な

意見を出しあおうではないか。

これはごく普通の人々のすべき会話だと思うが、いかがだろう。



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